翡草庵日乗

文化的半自給自足生活を旨とする地方中核都市に引っ込んだアラ40男子の日々の雑事記

20190321

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 旅の楽しみの一つが旅先でのランニング、所謂旅ランだ。GRDIII片手に1-2時間ほど走るのだが、京都のようにどこをどう走っても辻々に観るべきものがある街は本当に楽しい。街中を走って、和服でプラプラして、ちょっと美味しいものを食べたら他にあまり為すべきことは無い。今回は高島屋横山大観展大阪市美のフェルメール展をセットにしたのでこのタイミングとなったけど東寺さんか天神さんのガラクタ市をくっつけたかったのが叶わなかった。

 

大観展は期待したほどではなかった。フェルメール展はオランダまで行く旅費を考えれば多少人が多くても大阪で観ておくべきものだったろうと思う。フェルメールに混じってピーテル・デホーホとフランス・ハリスが観れたのも良かった。フェルメールやカラバッジョが相応しい日本のお宅はそうそうないだろうがデホーホならリビングや玄関に掛っていても良いと思う。

 

旅中残した3回分の18キップの用途を考えていた。来月初旬に白州蒸留所と水野美術館を主たる目的として諏訪へ湯治に行く事になるだろう。

20190320

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3シーズンぶりに青春18きっぷをフルで買う。内二回分で京阪へ寄る。主たる目的は京都の画廊へ何幅かの真贋意見を参考までに聴きに行く事と、五雲のお買い得品があればという二点と、大阪で旧交を温めることである。

 

画廊の意見は僕にとって良いものは三点中一点、人畜無害なものが一点、そしてもう一点が悪いものだった。悪い意見を聴かされるのは仕方ないとしても意見だけで理由が添えられないのが頂けない。これでは判決理由のない主文のみの判決公判を聞かされる被告人のようなものである。少し突っ込んで質問してみたものの質問されること自体忌避するような方だったのでそれ以上は問答無用と悟る。東美も金だけとって理由は説明しない。こちらは無料だから猶更自分勝手なものになっても仕方ないのかもしれない。結局絵画の真贋判定は宗教と同じで、誰の意見を信じるか否かが全てということになる。日動画廊の社長の著書にも絵画の真贋判定はそういうものだという趣旨の事が書いてあるが、それは肉筆で描かれたものであることを前提にしてそれを誰が描いたかというレベルの判定基準が筆舌に尽くし難いということだろうと思う。他方僕の場合印刷の上に手彩色した工芸画だと言われたのだが、だったらどの部分が印刷なのか具体的に適示出来そうなものだがそれは言えないのである。そのような意見を鵜呑みにすることは如何に相手が熟練の画商であっても僕には出来ない。公式鑑定人であっても藤田嗣治の水彩画の同様の手口のものを間違えた事が実際過去にあったし、最近でもゴッホの贋作とされいたものが真作だと判明している。公式鑑定でもこのように冤罪が起こるのだ。まして公式鑑定人でもない人からの参考意見なのだから況やおやである。日動画廊の社長も特定画家ではなく絵画一般なんでも鑑定できる人などいないと断言している。

 

結論としてはそれでも意見を聴きに京都まで行って良かったと思っている。少なくとも日本画の真贋鑑定も客観的に理由を適示できないケースが多数なのだろうということが分かったからだ。その画廊は日本画の特に京都画壇の取り扱いではかなり名の通った店である。そうであるなら他店主の意見などは良いものも悪いものも聞くだけ無駄というものだ。人の意見に惑わされる人は来歴の完璧な品をプレミアムを払って買うしかないと思う。

 

そういう経験をさせて貰ったお礼も兼ねてその画廊で五雲の小品を一幅買う。紙本の淡彩なので良く描けている割に安く僕でもギリギリ予算内だった。安くて良いものなら画廊だろうがネットだろうが骨董市だろうがどこでも良いのである。この一幅についても語るべきことが多々あるが他日に譲る。一言で言えば僕のコレクションに相応しい一幅ということだ。

 

塩澤縮緬と米沢深山にベルルッティを合わせて京都大阪をそぞろ歩いた。着物とベルルッティと泰山タイルのコラボレーションである。

20190315

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先日の昼の御膳である。

 

お品書き;

キャベツと人参と茗荷と大葉と玉葱とアメリカ産豚ロースの冷しゃぶサラダ

自家栽培ブロッコリーとアサリのボンゴレロッソ自家製麺手打ちタリアテッレ

 

酒:フロンテラ・シャルドネ・チリ

 

器;

大和吉孝造萩粉引御本木葉

大山昇造丹波海鼠泥漿金彩雲流文鉢

 

酒器:不詳葡萄文エッチングクリスタルワイングラス

 

手打ち生パスタの生産量を1バッチ3食分にして粉を20%増量した。結果このパスタ一食分の糖質量は驚くなかれ計算上25g以下である。糖質25gというと白米1/6合で通常の成人が食すお茶碗1/3膳程度ということになる。糖代謝に問題のある人にとって夢のパスタの誕生である。

 

僕は生来の体質上常人の1/3程度しかインシュリンが分泌されず、且つ出始めにタイムラグがあるのでご飯一膳分の糖質を液体で摂取すると60分後の血糖値は300近くまで達してしまう。しかしながらそこから長年トライアスロンで鍛え上げたインシュリン高感度ボディによって120分後血糖値は正常値近辺まで落とせるので糖尿病ではないのだがなんとも血糖の出入りの激しい日々を送っている。今となってはこの凝り性も糖代謝異常とセットで神が与え給うたものだろう。

20190314

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床棚の親王飾りである。

 

軸:伝松花堂昭乗墨蹟

花:野咲蔓桔梗

花器:不詳竹鉈籠花入

飾り物:享保

 

僕には上下一人ずつ姉妹がいるので我が家にも彼女たちのための昭和な五段飾りの雛飾りがある。但しそれは開かずの間のその又奥の押し入れのその又奥の奥に安置されて二度と日の目を見ることは無いであろう。気の毒な話である。

 

この享保雛は純粋に僕の趣味によって我が家にお越し頂いた。京雛で恐らく江戸末期か明治の作だと思う。胴が藁で出来ていて裏側の傷みが激しいけれど見える部分はそれほどでもないし、一応一式揃っていて何よりサイズが立派なのが気に入った。なかなかこのサイズの享保雛は無いと思う。ちなみに丸平ではない。人形の底に印章があって京雛なのは間違いないが作家の名まではよく分からない。分からないけれど丸平よりもご尊顔が柔和で厳めしくなく、それでいて昭和以降のような安っぽさがない気品を保っている。そこが気に入っている。そして大変お安かった。丸平なら買値の5倍はしただろう。よくぞあの値段でむさ苦しい備後路の田家にお越し下さった。きっと南朝方の皇子様だと思う。毎年飾る度に御髪が抜けていくのだけどいずれ僕も追いつく時が来るだろう。その時はお互い禿げ頭でお棺中にご一緒しようと思う。

 

軸は伝松花堂昭乗の墨蹟で和歌らしいのだが読めやしない。真贋の程は心細いが表具と軸先と雰囲気が良いので気に入っている。

20190313

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玄関飾りを変える。

 

画:不詳省三筆「白梅小禽(仮題)」

花:野咲蔓桔梗

花器:春慶塗六角手桶花入

 

玉僊の立雛図には早めに退いて貰った。この梅に鶯の図を飾りたかったからだ。作者はまだ分からない。落款どおりだと全く無名の作家ということになるがちょっと信じられない。固い画風だけど技術的に大変上手い。先日森守明の晩年の作で同じモチーフの軸を買ったけど技術的に全く遜色ない。守明は面白味はないけれど花鳥画を描かせれば清雅な京都画壇の中堅作家だ。その守明と比肩しうるのだから相当なものである。梅の描き方からして円山四条派の画家だと思うのだけど小禽の描き方がおよそ栖鳳っぽくないので非竹杖会の画家ではないかと思う。そうすると川端玉章門か山元春挙門か今尾景年門あたりが怪しいのだが落款と一致する作家が見つからない。

 

これは全くの当て推量だけど、児玉希望の若描きではないかと妄想している。児玉希望は川合玉堂門のビッグネームで本名が省三なのだ。玉堂門なら円山四条派でいて非竹杖会という条件にも合致する。だが画風が児玉希望として完成された花鳥画とは似ても似つかない。希望の鳥は意思を有した擬人化されたそれだ。この鶯は良く描けているが写生画のそれの上手さであって決して作家性は感じられない無個性な鶯である。故にまだ希望と銘を入れるのが憚られる謂わば習作として描いて本名を代わりに入れて落款としたのではないかと思う。

 

希望の作に省三銘の作品が残っているのかどうか情報はまだ無い。近い内に一度祇園のギャラリーの無料鑑定を受けて意見を聴いてみようと思う。もし希望の若描きの可能性が高まればこれも軸装に直して東美の鑑定を受けてみようと思う。

20190310

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先日の昼の御膳である。

 

お品書き;

自家栽培キャベツと大根と人参と玉葱と茗荷とアメリカ産豚ロースの冷しゃぶサラダ

自家栽培ブロッコリーとアサリのボンゴレロッソ自家製麺手打タリアテッレ

 

酒:フロンテラ・シャルドネ・チリ

 

器;

古瀬尭三造赤膚焼窯変変形鉢

大山昇造丹波海鼠釉泥漿筒描雲流文鉢

山端窯造有田黄灰釉ムツゴロウ箸置

 

酒器:不詳山葡萄文エッチングクリスタルワイングラス

 

自家製手打ちパスタもほぼ完成の域に達して残すは水分微調整のみとなった。水分が多過ぎると麺のくっ付きが酷くなり、少なすぎるとボソボソと切れてしまう。この辺は蕎麦打ちに似ているかもしれない。ニョッキにしてしまえばくっ付きを気にする必要はない。本来ショートパスタ向きの生地と言えるだろう。

 

丹波ブーム到来で大山昇の海鼠の鉢を新たにコレクションに加えた。金彩のような泥漿雲流文が美しい。カレー鉢にしても良いし少し気取ってシンプルで薄い尺平皿に重ねても良いだろう。

 

20190309

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尾張侘助の大鉢である。これはずっと鉢植えのままにしておこうと思う。いつの日か京都の外れの方か篠山の小さな古民家を繕って一人終の棲家とすることもあるかもしれない。その時はきっと庭なども坪庭程度しか持てないだろうから格子戸の玄関の軒先に棕櫚とこの侘助の鉢を置いて暮らしたいと思うからである。

 

先日買った「昭和住宅」という本に林芙美子の東京自邸が紹介されていて是非一度見学したいものだと思う。やはり作家や画家の家が良くできているものが多い。結局は細部への拘りの問題なのだと思う。神は細部に宿るのだ。